天禄元年(970年) | 小野宮正一位尾張公藤原実頼薨去、追福のため薬師如来を勧進。大伽藍を創建し小野院極楽寺と号す。 当時は天台宗。開基は花国和尚。 |
寛仁三年(1019年) | 浅野荘所領の藤原資平が比叡山に倣い門前に日吉神社を勧進し鎮守とする。 |
明応六年(1497年) | その後、大洪水により流失するが、明応六年(1497年)田園より薬師如来像出現。領主の大願により修理。 |
大永五年(1525年) | 宣叟曇周和尚が再興し、曹洞宗に改める。 |
示寂和暦年月日 | 示寂西暦年 | ||
開山 | 宣叟曇周大和尚 | 享禄2年8月21日 | 1529年 |
二世 | 南陽嫩壽大和尚 | 慶安4年1月11日 | 1651年 |
三世 | 中興久巖傳大和尚 | 元禄8年4月13日 | 1695年 |
四世 | 智屋實穏大和尚 | 正徳2年10月11日 | 1712年 |
五世 | 輪山東轂大和尚 | 元文3年5月13日 | 1738年 |
六世 | 大有義奘大和尚 | 享保10年5月19日 | 1725年 |
七世 | 大鳳仙雄大和尚 | 享保19年8月27日 | 1734年 |
八世 | 大疑黙契大和尚 | 安永2年7月15日 | 1773年 |
九世 | 大秀卓成大和尚 | 天明5年5月19日 | 1785年 |
十世 | 泰春瑞芳大和尚 | 文化1年3月2日 | 1804年 |
十一世 | 大耕石牛大和尚 | 文化2年 | 1805年 |
十二世 | 達玄有道大和尚 | ||
一三世 | 崑山凡同大和尚 | ||
十四世 | 卍嶺仙大和尚 | ||
十五世 | 普明卍鏡大和尚 | 文化14年12月4日 | 1817年 |
十六世 | 天嶺秀曉大和尚 | 文化6年10月4日 | 1823年 |
十七世 | 再中興見隆義桃大和尚 | 慶応4年4月16日 | 1869年 |
十八世 | 祖山泰道大和尚 | 明治1年10月7日 | 1869年 |
十九世 | 泰應祖考大和尚 | ||
二十世 | 大澄義禅大和尚 | 明治41年2月5日 | 1908年 |
二一世 | 桑山白齋大和尚 | 明治13年 | 1880年 |
二十二世 | 両郷開山撤心大底大和尚 芳林開山長榮八世 |
昭和20年5月2日 | 1945年 |
二十三世 | 長榮九世 恵林開山臥雲活龍大和尚 |
昭和36年9月6日 | 1961年 |
二十四世 | 恵林二世重興眞岳彰山大和尚 | 平成1年12月8日 | 1989年 |
二十五世 | 大岳宏史大和尚 | 平成17年9月2日 | 2005年 |
二十六世 | 瑞岳展章大和尚 | 現住職 |
・平安中期の歌人
・藤原 忠平の長子。醍醐・朱雀・村上・冷泉の四朝に仕え、関白太政大臣、摂政。
・天徳四年内歌合の判者。
・小野宮大臣とも呼び、清慎公を諡す。
・家集「清慎公集」
・平安中期の延臣
・参議・斉敏の第四子
・祖父実頼の養子となり、従一位右大臣となる。
・実頼とともに有職故実に詳しく、いわゆる小野宮流の祖とされる。
・小野宮大臣とも言い「小野宮年中行事」などを著す。