禅林寺寺伝「薬師如来由来」

第六十四代、円融天皇の天祿元年(西暦970年)小野宮殿正一位尾張公 藤原 実頼卿が薨去せられたので、所領尾張の国 丹羽郡小野郷に、追福のために薬師仏の大像を彫み大伽藍を創建し、小野院極楽寺に安置した。
大永五年(西暦1525年)宣叟曇周大和尚が再興して曹洞宗に改める。天保五年(西暦1648年)寺号を仙境山禅林寺に改めた。
第六十八代後一条天皇の寛仁三年(西暦1019年)に右大臣 藤原 実資の所領であった浅野荘を、養子参議藤原 資平公の所領に譲与された。
大永五年(西暦1525年)宣叟曇周大和尚が再興して曹洞宗に改める。天保五年(西暦1648年)寺号を仙境山禅林寺に改めた。
第六十八代後一条天皇の寛仁三年(西暦1019年)に右大臣 藤原 実資の所領であった浅野荘を、養子参議藤原 資平公の所領に譲与された。
その後百年の星霜を閲し、一歳大洪水のために堂塔伽藍悉く流失し仏像一朝にして沼底埋没の厄に遭ったが、光明の奇瑞により再び出現せられ、明応六年六月(西暦1497年)領主の所願により修理を加えられた。
膝裏に墨書きで、明応六年丁巳六月吉日、加修理仏師濃州美江寺住人、尾張州丹下郡下麻野極楽寺住持比丘祥頓修之とある。
また、元禄九年(西暦1696年)裳裏に墨書きで、万人講之助力以再興尊像也、元禄九年丙子八月吉日、當山現住実穏代、(四世 知屋実穏大和尚) 名古屋本町四丁目 仏師 半九良、万人講願主 寺沢弥兵衛、川口次平、芝崎権兵衛、同金十良、同善左右門とある。
この他、台座蓮華座の裏面に、墨書きで 蓮華座建立、寶暦十三癸未×月吉祥日(西暦1763年)仙境山禅林寺、現住卓成代(九世大秀卓成大和尚)、施金百疋 当村 村上上儀兵衛、同断同善左衛門内銀六匁 当村 上喜右衛門、 金一分猿作、×方並ニ十方壇越。
なお、国宝指定後、奈良市美術院出張の下に、大修理が加えられ、次のような銘文を彫刻した銅版を貼付した。 奉修理木造薬師如来座像一宮市躯、昭和八年二月依国宝保存法修理竣工畢、禅林寺 禅林寺住職 前林活龍、 工事監督美術院主事 新納忠之介、工事主任 大賀 秀雄。
昭和六年十二月十四日(西暦1931年)付文部省告示第332号(発宗127号)をもって国宝に指定された。
昭和二十五年八月二十九日(西暦1950年)付彫第348号をもって文化財保護委員会より文化財保護法第115条の規定により重要文化財に指定された。
昭和43年3月13日(西暦1968年)宗保登第三十号をもって、曹洞宗 宗宝に指定された。
藤原 実頼(さねより)[900年~970年]・平安中期の歌人
・藤原 忠平の長子。醍醐・朱雀・村上・冷泉の四朝に仕え、関白太政大臣、摂政。
・天徳四年内歌合の判者。
・小野宮大臣とも呼び、清慎公を諡す。
・家集「清慎公集」
藤原 実資(さねすけ)[957年~1046年]・平安中期の延臣
・参議・斉敏の第四子
・祖父実頼の養子となり、従一位右大臣となる。
・実頼とともに有職故実に詳しく、いわゆる小野宮流の祖とされる。
・小野宮大臣とも言い「小野宮年中行事」などを著す。